著書=Aは専門書、Gは一般書、Iは入門書です。
・『神の和の神学へ向けて 三位一体から三間一和の神論へ』(すぐ書房, 1997/新教出版社, 2017)A
・ Towards a Theology of the Concord of God A Japanese Perspective on the Trinity, (Carlisle, Cumbria: Paternoster, 2000)A
・『責任を取り、意味を与える神 21世紀日本のキリスト教1』(一麦出版社, 2000)G
・『苦難を担い、救いへ導く神 21世紀日本のキリスト教2』(一麦出版社, 2003)G
・『戦争を鎮め、平和を築く神 21世紀日本のキリスト教3』(一麦出版社, 2005)G
・『現代アメリカ神学思想 平和・人権・環境の理念』(新教出版社, 2004/増補新版2018)A
・『ゴスペルエッセンス 君に贈る5つの話』(新教出版社, 2004)I
・『ゴスペルフォーラム 君に贈る5つの話』(新教出版社, 2007)I
・『ゴスペルスピリット 君に贈る5つの話』(新教出版社, 2008)I
・『ゴスペルハーモニー 君に贈る5つの話』(新教出版社, 2019)I
・『ゴスペルジャーニー 君に贈る5つの話』(新教出版社, 2021)I
・『神の和の神学入門 21世紀日本の神学』(新教出版社, 2005)I
・『マタイによる福音書 私訳と解説』(新教出版社, 2006)G
・『マルコによる福音書 私訳と解説』(新教出版社, 2008)G
・『ルカによる福音書 私訳と解説』(新教出版社, 2009)G
・『ヨハネによる福音書 私訳と解説』(新教出版社, 2010)G
・『使徒言行録 私訳と解説』(新教出版社, 2011)G
・『ローマ人への手紙 私訳と解説』(新教出版社, 2011)G
・『コリント人への手紙 私訳と解説』(新教出版社, 2012)G
・『ガラテヤ人・エフェソ人・フィリピ人・コロサイ人への手紙 私訳と解説』(新教出版社, 2013)G
・『テサロニケ人・テモテ・テトス・フィレモンへの手紙 私訳と解説』(新教出版社, 2014)G
・『ヘブライ人への手紙 私訳と解説』(新教出版社, 2014)G
・『ヤコブ・ペトロ・ヨハネ・ユダの手紙 私訳と解説』(新教出版社, 2015)G
・『ヨハネの黙示録 私訳と解説』(新教出版社, 2015)G
・『ジョン・マクマレー研究 キリスト教と政治・社会・宗教』(新教出版社, 2017)A
・『ディズニーランド研究 世俗化された天国への巡礼』(新教出版社, 2019)G
・『ディズニー変形譚研究 世俗化された福音への信仰』(新教出版社, 2020)G
・『エアライン入門 逆風で飛翔する両翼』(大学教育出版, 2021)G
・『旧約聖書 律法書 要約と概説』(新教出版社, 2021)G
・『旧約聖書 歴史書 要約と概説』(新教出版社, 2022)G
・『旧約聖書 文学書 要約と概説』(新教出版社, 2023)G
・『旧約聖書 預言書 要約と概説』(新教出版社, 2024)G
論文=
・「ノヴァティアヌスとキプリアヌスにおける『和』の概念―『三位一体論』と『公同教会一致論』を中心として」土肥昭夫教授退職記念論文集編集委員会編『キリスト教と歴史』(新教出版社, 1997)
・‘Japanese Protestantism to the present day,’ McGrath, A. E. & Marks, D.(eds.), Blackwell Companion to Protestantism, (Oxford: Blackwell Publishing, 2004)
・「ケンブリッジ研究滞在ノート」『西南学院大学 国際文化論集 第19巻 第1号』(西南学院大学学術研究所, 2004)
・「現代学生気質 学生伝道のための参考資料」『西南学院大学 国際文化論集 第21巻 第1号』(西南学院大学学術研究所, 2006)
・‘Christian Theology under Feudalism, Nationalism and Democracy in Japan,’Kim, Sebastian C. H.(ed.), Christian Theology in Asia, (Cambridge: Cambridge University Press, 2008)= ‘Christian Theology under Feudalism, Nationalism and Democracy in Japan,’ Mark R. Mullins (ed.), Critical Readings on Christianity in Japan, (Leiden: Brill, 2015)
・「アメリカ・太平洋文化コースの理念」『西南学院大学 国際文化論集 第36巻 第2号』(西南学院大学学術研究所, 2022)= アメリカ・太平洋文化コースの理念 (seinan-gu.ac.jp)
訳書=
・クラス・ルーニア著『使徒信条の歴史と信仰』(いのちのことば社, 1992)
・ボブ・ハウツワールト著『繁栄という名の「偶像」』(いのちのことば社, 1993)
・ドナルド・ブローシュ著『キリスト教信仰 真の信仰をめざして』(一麦出版社, 1998)
・アーサー・F・ホームズ著『知と信の対話 キリスト教教育の理念』(一麦出版社, 1999)
拙著・拙論の引用=
・ 古屋安雄「座談会 学界の過去と学会の未来」日本基督教学会編『日本の神学 41 神学年報2002』(教文館, 2002) 281頁
・ Stanley J. Grenz, Rediscovering The Triune God The Trinity in Contemporary Theology, (Minneapolis, MN: Fortress Press, 2004) pp.2,225
・ 阿部仲麻呂『信仰の美學』(春風社, 2005) 433,569,580,581頁
・ Veli-Matti Karkkainen, The Trinity Global Perspectives, (Louisville, KY: Westminster John Knox Press, 2007) p.314.
・ M. Kurasawa, ‘Japanese Theology,’ Veli-Matti Karkkainen, ‘Trinity, Triune God,’ William A. Dyrness and Veli-Matti Karkkainen (eds.), Global Dictionary of Theology A Resource for the Worldwide Church, (Downers Grove, IL: IVP Academic, 2008) pp.432-434,910,912.
・ 松田和憲『現代日本の「宣教の神学」研究 宣教の神学 パラダイム転換を目指して』(関東学院大学出版会, 2010) 589-600頁 = 同志社大学大学院神学研究科へ提出された博士論文
・ Veli-Matti Karkkainen, Trinity and Revelation A Constructive Christian Theology for the Pluralistic World Volume 2, (Grand Rapids, MI: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 2014) p.303.
・ Gene L. Green, Stephen T. Pardue, and K.K. Yeo (ed.), The Trinity among the Nations: The Doctrine of God in the Majority World, (Grand Rapids, MI: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 2015) pp.5,100,102,108-110,117-119.
・ Christian James Triebel, A Third Culture Kid Theology: Constructing Trinity, Christ, and Believers' Identity in Liminality in dialogue with Nozomu Miyahira, Emil Brunner, and Thomas F. Torrance, (Doctoral Thesis: Doctor of Philosophy, King's College London, University of London / Joyce, Paul, Supervisor, 2016) = ロンドン大学キングズ・コレッジへ提出された博士論文 https://kclpure.kcl.ac.uk/portal/en/theses/a-third-culture-kid-theology(40fa30e1-a646-4990-a2ff-029d946a2ccc).html Chapter 12 Nozomu Miyahira's Theology of 'Between,' pp.128-151, et al.
・ 芦名定道『現代神学の冒険 新しい海図を求めて』(新教出版社, 2020) 25,95頁
・D. Glenn Butner Jr., Trinitarian Dogmatics Exploring the Grammar of the Christian Doctrine of God, (Grand Rapids, MI: Baker Academic, 2022), p.8.n.27,pp.119,130.
拙著に対する主な書評 (書評を書いてくださった先生方、本当にありがとうございます!)=
・宮平望『神の和の神学へ向けて 三位一体から三間一和の神論へ』(すぐ書房, 1997/10) 295頁
→小原克博『福音と世界 1998/1 特集 礼拝』(新教出版社, 1998/1) 54-56頁
→峰島旭雄『比較思想研究 第24号 1997』(比較思想学会, 1998/3) 102頁
→小野寺功『宗教研究 第72巻 318 第3輯』(日本宗教学会, 1998/12) 130-136頁
→小田垣雅也『日本の神学 39 神学年報2000』(教文館, 2000/10) 112-118頁
→今井尚生『西南学院大学 国際文化論集 第15巻 第2号』(西南学院大学学術研究所, 2001/2) 299-304頁
・宮平望『責任を取り、意味を与える神 21世紀日本のキリスト教1』(一麦出版社, 2000/7) 198頁
→松永希久夫『本のひろば 2000/10』(財団法人キリスト教文書センター, 2000/10) 14-15頁
→伊藤悟『いちばく No.4 2001/1』(一麦出版社, 2001/1) 4-5頁
・宮平望『苦難を担い、救いへ導く神 21世紀日本のキリスト教2』(一麦出版社, 2003/10) 254頁
→八木誠一『本のひろば 2004/5』(財団法人キリスト教文書センター, 2004/5) 18-19頁
→栗林輝夫『いちばく No10 2004/5』(一麦出版社, 2004/5) 8-9頁
・宮平望『戦争を鎮め、平和を築く神 21世紀日本のキリスト教3』(一麦出版社, 2005) 240頁
→木村公一『いちばく No15 2008/6』(一麦出版社, 2008/6) 4-5頁
・宮平望『現代アメリカ神学思想 平和・人権・環境の理念』(新教出版社, 2004/8) 313頁
→星野靖二『国際宗教研究所レター 第44号(04-3)』(財団法人 国際宗教研究所, 2004/10) 19-21頁
→森本あんり『本のひろば 2005/2』(財団法人キリスト教文書センター, 2005/2) 14-15頁
・宮平望『神の和の神学入門 21世紀日本の神学』(新教出版社, 2005/9) 97頁
→西岡義行『本のひろば 2006/2』(財団法人キリスト教文書センター, 2006/2) 14-15頁
・宮平望『ゴスペルスピリット 君に贈る5つの話』(新教出版社, 2008/9) 114頁
→宮田光雄『本のひろば 2008/11』(財団法人キリスト教文書センター, 2008/11) 28-29頁
・宮平望『マルコによる福音書 私訳と解説』(新教出版社, 2008/2) 413頁
→伊藤明生『本のひろば 2008/6』(財団法人キリスト教文書センター, 2008/6) 4-5頁
・宮平望『ルカによる福音書 私訳と解説』(新教出版社, 2009/2) 717頁
→山田耕太『本のひろば 2009/6』(財団法人キリスト教文書センター, 2009/6) 26-27頁
・宮平望『ヨハネによる福音書 私訳と解説』(新教出版社, 2010/2) 469頁
→伊東寿泰『本のひろば 2010/7』(財団法人キリスト教文書センター, 2010/7) 26-27頁
→小林稔『日本の神学 50 神学年報2011』(教文館, 2011/9) 125-128頁
・宮平望『新約注解 「私訳と解説」シリーズ』全十二巻(マタイによる福音書~ヨハネ黙示録、新教出版社、二〇〇六~二〇一五年)
→川村輝典『日本の神学 55 神学年報2016』(教文館, 2016/9) 131-136頁
・宮平望『ジョン・マクマレー研究 キリスト教と政治・社会・宗教』(新教出版社, 2017/9) 232頁
→鈴木正見『比較思想研究 第44号 2017』(比較思想学会, 2018/3) 198-199頁
→岩城聰『日本の神学 57 神学年報2018』(教文館, 2018/9) 167-172頁
・宮平望『ディズニーランド研究 世俗化された天国への巡礼』(新教出版社, 2019/1) 261頁
→赤羽優子『比較思想研究 第46号 2019』(比較思想学会, 2020/3) 193-194頁
・宮平望『エアライン入門 逆風で飛翔する両翼』(大学教育出版, 2021)189頁
→月刊エアライン編集部『AIRLINE 月刊エアライン 2021/12 vol.510』(イカロス, 2021) 159頁
拙著に対する主な推薦 (推薦を書いてくださった先生方、本当にありがとうございます!)=
・宮平望『ジョン・マクマレー研究 キリスト教と政治・社会・宗教』(新教出版社, 2017/8) 231頁
→エディンバラ大学 デイヴィッド・ファガソン教授(David Fergusson, OBE MA BD DPhil DD FBA FRSE, Professor of Divinity and Principal of New College, University of Edinburgh)
「人間の関係論的視点に基づくジョン・マクマレーの人間哲学は、私たちが社会的、宗教的、政治的生活を理解するための重要な役割を担い続けている。彼の著作に対する本書の忍耐深く鋭敏な解説は、マクマレーの思想の様々な要素を明示し、それらがいかに新しく活用されうるかを指し示している。宮平博士の素晴らしい研究は、新たな聞き手の中にマクマレー自身の研究に対する興味を確かに引き起こすだろう。」
→オックスフォード大学 アリスター・E・マクグラス教授(Alister E. McGrath, MA DPhil DD DLitt FRSA, Andreas Idreos Professor of Science and Religion University of Oxford)
「長期間の閑却の後、今やスコットランドの哲学者であり神学者であるジョン・マクマレーの著作に対する新たな関心が湧き起こってきている。宮平博士のこの重要な研究は、キリスト教徒の生活と思索を結び付けながら神学の論述と議論を深めるマクマレーの方法を解き明かす。大いに推薦されるべき書である。」
→トリニティー大学 フランク・カークパトリック名誉教授(Frank Kirkpatrick, MA PhD, Ellsworth Morton Tracy Lecturer and Professor of Religion, EmeritusTrinity College, Hartford, Connecticut)
「宮平望教授は、イギリスの哲学者であった故ジョン・マクマレーの思想に関する見事な本を著した。宮平氏の網羅的で深い知識に基づく研究は、マクマレー自身の研究の広さを反映しているだけでなく、印象に残るほどの正確さと繊細さを伴っている。宮平氏がマクマレーに対する研究の増大しつつある領域を活用している点こそ、読者には特に重要になってくるだろう。」
→ヨーク・セントジョン大学 エスター・マッキントッシュ博士(Dr Esther McIntosh, BD(Hons), PhD, Director of Theology and Religious Studies, Senior Lecturer in Religion, Philosophy and EthicsSchool of Humanities, Religion and Philosophy, York St. John University)
「本書において宮平望博士は、ジョン・マクマレーの思想の明快な解説を読者に提示している。ここで提示されているのは、最新のマクマレー研究に対する評価であり、さらにマクマレーの思想をその生涯と実践の中に位置づける試みでもある。また、本書はマクマレーの出版された著作に基づいて諸概念の徹底的、網羅的な解釈を注意深く整然と展開する。特に現代の我々に資する点は、国家間の境界や人間間の恐怖を克服する人間的関係に対するマクマレーの強調である。この人間的関係は、教理や教義に対する信念を超える社会的行動としての信仰や宗教に対する理解によって実現される。本書の結論では驚くべき展開が見られ、マクマレーとの対話の相手としてアリスター・マクグラスが紹介される。両者共に観念論者ではなく実在論者であるが、マクグラスが神学を受容するのに対してマクマレーは神学を拒絶するからである。本書を通してマクマレーの思想に対する宮平博士の好意的評価は明白であり、現代神学への妥当性も浮き彫りにされている。特に、三位一体論神学と通底するマクマレーの人間関係論は、現代の神学者のために実りある議論の機会を提供する。マクマレーの成果を日本の読者に極めて理解し易い形で提示する研究として本書を勧めたい。」
今後の研究予定=
[世俗神学シリーズ]
・『ユーモア入門』 → ユーモアに関する思想史的・類型論的研究
[組織神学シリーズ]
・『神の和の神学 ○○論』・・・
学会=
・ 日本基督教学会会員。2010年~2013年と2014年~2016年までは日本基督教学会学会誌『日本の神学』編集委員
・ 比較思想学会会員
・ ホウィットフィールド神学・倫理学・教育学研究会(The Whitefield Institute, Research and Communication in Theology, Ethics and Education)会員。現在、カービー・レイン・キリスト教倫理学研究会(Kirby Laing Institute for Christian Ethics)に改称
・ ティンダル聖書学・神学研究会(Tyndale Fellowship for Biblical & Theological Research)会員
<推薦図書>
『本のひろば』(財団法人キリスト教文書センター)における書評(財団法人キリスト教文書センターより許可を得て転載)
『本のひろば 増刊号2007/3 キリスト教書 読者アンケート特集』(財団法人キリスト教文書センター, 2007/3)p.36より許可を得て転載。
1.土肥昭夫『思想の杜 日本プロテスタント・キリスト教史より』新教出版社、二〇〇六年、三五七〇円
本書は日本人の精神構造、キリスト教史上の先達、牧師交代に関する検証、戦争責任問題や天皇制に対する教会の取り組み、日韓キリスト教関係史などに焦点を当てつつ、日本のキリスト教会の歴史的課題を提示しています。特に日本人の精神構造を論じた最初の三章は簡潔かつ明快な筆致で、現代日本のあらゆる問題に通底する深層を明示しています。
2.アリスター・マクグラス『信仰の旅路 たましいの故郷への道』いのちのことば社、二〇〇三年、一四七〇円
イギリスの著名な神学者によるこの信仰入門書は、本書を通して読者が信仰の旅路を歩むことができるような章立てになっています。心の準備ができずに信仰の旅路へと踏み出せないでいる人に対して著者は、旅への最良の準備は旅に出てからでないとできないことを教えてくれます。
3.森和久『誕生日』すぐ書房、二〇〇一年、一七三二円
学生時代から奔放な生き方をしていたOLが行き詰まり、再出発を願っていた矢先、修道院に入り、さらに凄絶な現実に取り囲まれます。しかし、彼女はそこで自己発見的に、自分が生まれてきたことの意味を自分を愛する人、自分を必要とする人のみが握っていることを知り、十字架の意味も新たに教えられるという小説です。
『本のひろば 増刊号2008/3 キリスト教書 「私の選んだ3冊」』(財団法人キリスト教文書センター, 2008/3)pp.37f.より許可を得て転載。
1.カール・バルト(吉永正義訳)『イスカリオテのユダ KDセミナーブック』新教出版社、一九九七年、二一〇〇円
近年、ユダ論が注目される中で再読しておきたい名著です。本書は、ユダがイエスを「裏切る」とは、正しくは「引き渡す」であって最小限の敵対行為であること、使徒パウロが十字架のイエスを言わば世界へ引き渡す前の、ユダによる引き渡しという使徒職は無駄ではなかったこと、しかしユダの罪は軽減されないこと、ユダの自殺は自らが自らの審判者となって神の自由な審判を待たなかったことなどを指摘し、救いに関して再考を促します。
2.古屋安雄『神の国とキリスト教』教文館、二〇〇七年、二三一〇円
著者によると、イエスは神の国の到来を告知したが、戦時中の日本の教会は賀川豊彦や羽仁もと子や矢内原忠雄などの例外を除いて、「神国日本」との衝突を回避するために神の国を説かなくなったとのことです。だからこそ、キリスト教の停滞している日本の教会や神学の将来的課題は神の国の復権であると提言します。そして、神の国を説いたイエスの結末が十字架刑であることを考慮しつつも、この復権の敢行を本書は勧めます。
3.小田垣雅也『コミュニケーションと宗教』創文社、二〇〇六年、二九四〇円
本書は、特に近代以降の西洋思想の袋小路状態に対する代替案を東洋思想などの中に探し求めると同時に、著者自身の見解も明示する点で極めて啓発的な論集です。神学のバルト捕囚を越えて聖霊の神学へ向かい、ラーナーの「無記名のキリスト者」論に対して「無記名の仏教徒」論を提案し、無神論者の否神論的性格を指摘し、本来信仰は不信仰との、絶対は相対との、自己は他者との関係性の中にあるという二重性の構造を解明しています。
『本のひろば 増刊号2009 キリスト教書 「私の選んだ3冊」』(財団法人キリスト教文書センター, 2009/4)p.48.より許可を得て転載。
1.水垣渉『初期キリスト教とその霊性』日本キリスト改革派教会西部中会文書委員会、二〇〇八年、一五〇〇円
新約時代と連続した四世紀までの初期キリスト教は、全キリスト教界が継承する基本的キリスト教であり、著名な教父学者によるこの霊性の研究は、現代の教会においても参考になるでしょう。前半はキリスト者が選民と異邦人に対して普遍的な次元を持つ第三の民として家庭を中心に信仰を証しし広めていった過程を明示し、後半は神の前にへりくだった「わたし」が霊性の根源である聖書の学びを深める必要性を説いています。
2.南原繁研究会編『平和か戦争か 南原繁の学問と思想』tobe 出版、二〇〇八年、一五〇〇円
第4回南原繁シンポジウムの成果の一部である本書は、南原の思想を発展的に継承して、国家や民族への忠誠を相対化する世界公民の生き方を指し示す坂本義和氏や、南原とバルトの思想には「待ちつつ急ぎつつ」という神の主権性と人間の責任を両立させた終末論的な平和思想が通底していることを明示した宮田光雄氏の論考他、南原の真善美義の文化価値と彼を取り巻く人物・状況の各側面の紹介を含む充実した一冊です。
3.寺園喜基『西南の風』梓書院、二〇〇八年、二〇〇〇円
本書は二十一世紀の世界に貢献する学院を目指す西南学院第十七代院長による学院月報巻頭言や式辞などを収録するエッセー集です。バルト神学研究者としても知られる著者は、戦前の日本人バルト研究者がバルトのナチズム批判を日本の脈絡に適用して日本国家主義に抵抗運動を展開することがなかったのに対して、靖国問題にも取り組み、本書では特に戦時中の軍国主義教育、現今の新教育基本法の愛国心問題を批判し、心の教育を見直しています。
<推薦図書>
宮平望(西南学院大学教授)(2010年)
1.宮田光雄『ベツレヘムの星 聖書的象徴による黙想』新教出版社、二〇〇五年、一九〇〇円
本書は星、光、道、火、水、船、木、家、鳩、魚、手、足、目といった聖書的象徴が日常生活に根差していると同時に、この世界の創造主に着目させる超越的役割を果たしている点を明示しています。この広範な視点は、「私はある」という神の名前を「燃える柴」と関連させて燃え尽きない栄光の火の神であるとする解釈や、イエスの受洗時に下った鳩が神の保護や栄光を象徴する御翼との関連で神性をも表すという洞察も導き出しています。
2.小田垣雅也『憧憬の神学 キリスト教と現代思想』創文社、二〇〇三年、二八〇〇円
西洋思想が取り扱ってこなかった絶対無の神学を近現代思想と対話しつつ提唱する著者は、対象化されない水準を持つ絶対無の中で神学を実践する立場を憧憬の神学とも呼んでいます。それは絶対無が自己を無化し続けるように、憧憬も更なる憧憬を求める無限の営為だからです。こうした動的な理解は静的な神理解がはらむ権威主義を克服し、自分を無にしたイエスの十字架刑や信仰義認論、ニヒリズムにも新たな視点を提示しています。
3.小野寺功『絶対無と神 京都学派の哲学』春風社、二〇〇二年、四六〇〇円
キリスト教神学の日本的展開を試みてきた著者は、西田哲学の「無の場所」を聖霊の働く場所と把握し、日本における三位一体論の再構築と聖霊神学の確立に果敢に取り組んでいます。その際に本書は西洋哲学の伝統を踏まえた上で、鈴木大拙、田辺元、波多野精一、西谷啓治、逢坂元吉郎、鈴木亨、滝沢克己、北森嘉蔵、武藤一雄らとの批判的対話を深めつつ、無からの創造を初めとして神学の基本的枠組みを再検討しています。
<投稿記事>
「給水分け合う選手に学んだ」『朝日新聞(朝刊) 声 2008/12/16 10版』(朝日新聞社,2008/12), p.15.(朝日新聞社より許可を得て転載)
先日、第62回福岡国際マラソン選手権大会を近くの沿道で見ました。最初はただ選手たちに声援を送るつもりでした。しかし、見ているうちに一つのことに目がくぎ付けになりました。
選手たちは給水所で手にした飲料水を口に含むと、そのボトルを左右の走者にも差し出していたのです。そして、それを受け取った選手は飲むと、また別の人に回していました。
マラソンは1秒を争う競走です。沿道で配られていた朝日新聞のパンフレット(よかとこ版)によると、給水所は駆け引きのポイントで、そこで水を取るか取らないかで順位が変わることもあれば、かつては給水に失敗した選手に水を手渡した選手が優勝をさらわれたこともあるそうです。
今回の選手たちもそういうことは知っているでしょう。それにもかかわらず、お互いに飲料水を分け合うさっそうとした雄姿にしばらく魅せられました。むしろ、学ぶことが多かったのはこちらの方でした。
その選手たちに再び声援を送るべく、私はゴールのある平和台陸上競技場に向けて自分の足を走らせました。
<名著解読>
* J. D. Salinger, The Catcher in the Rye, (Penguin Books, 2010, originally in 1945-1946) = J. D. サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(2016/01/14)
J. D. サリンジャーの著した The Catcher in the Rye はしばしば、上記のように『ライ麦畑でつかまえて』と訳されているが(「The Catcher in the Rye」, 松田徳一郎(編)『リーダーズ英和辞典 第二版』, p.400)、直訳すれば、それは『ライ麦の中の捕手(The Catcher in the Rye)』である。さらに、この「キャッチャー(catcher)」は、文字どおり、「捕手、捕まえる人」という意味であるが、この「キャッチャー(catcher)」という語句に内包され、示唆されている「キャッチ(catch)」という語句には、同様にして「捕まえる人」だけでなく、「捕まえたもの」、「いとしいもの、望ましいもの」、「落とし穴」、「発芽」などの意味もあることを考慮すると(「catch」, 松田徳一郎(編)『リーダーズ英和辞典 第二版』, p.400)、本書は次のようにも解釈できるだろう。
まず第一に重要なのは、ニューヨークのセントラルパークの池が氷結した時に、そこの「アヒル」が一体どこに行くのかと主人公ホールデン・コールフィールド(Holden Caulfield)が何度も案じている点である(原書, 2章pp.13f., 9章p.65, 12章p.88, 20章p.166)。この懸念は、何度も放校処分を食らったホールデンがこの冬、学校の寮から果たしてどこに帰れるのだろうかという不安を投影している。家では厳格な父親が待っているからである。
第二に、この本の題名に反映されている「ライ麦畑」はホールデンの生きている社会を、その「捕手」はホールデン自身を象徴している。ホールデン自身の描く理想的将来像は、次の有名な箇所である。
「とにかく僕は、その広いライ麦畑でちびっ子たちがみんなで何かのゲームを楽しんでいるのをいつも思い描いてる。数千ものちびっ子たち以外に誰もいない。そう、大人は誰も、僕以外には。で、僕は狂った崖っぷちに立って、何をしなくちゃいけないかっていうと、崖を超えちゃいそうな一人ひとりを捕まえるんだ。もし、ちびっ子たちが走ったまま、どこに向かっているかが見えてないなら、僕がどこからともなく出て来て捕まえるってことだよ。それを一日中やってみたいな。ぼくはただ、そのライ麦畑みたいな所で捕まえる役になりたいんだよ」(原書, 22章,p,186.ここで「捕まえる役」と訳した原語はcatcher)。
確かに、この現実の社会には、いかさまな大人の仕掛けた数々の「落とし穴(catch)」があるが、そんな所でもホールデンは妹フィービーの中に「いとしさ(catch)」を見いだしている(cf.原書,22章,p.185, 25章,p.228)。かつてそこには、ホールデンのかわいがっていた弟アリーもいた。ホールデンはこの世に何度も吐き気を示しているが、妹と幼年で病死した弟のことは確かに心深く受け入れている。おそらくホールデンは、妹を「捕まえる(catch)」ことはできたが、弟は「捕まえる(catch)」ことができなかったと悔やんでいるのだろう。だからこそ、ライ麦畑の「発芽(catch)」のように将来に満ちた妹や弟に対する純真な思い入れは深い。比喩的に言えば、妹という「発芽」を捕まえることはできたが、弟という「発芽」は崖から落としてしまったのである。たとえホールデンのせいでないにせよ。
ちなみに、ホールデンが、スイス・チーズのサンドイッチと「麦芽乳(malted)」で腹を満たしたという記述は(原書,18章,p.146)、読者に「麦」から「ライ麦」を連想させつつ、例えば「ライ麦」から作られた「ライ麦パン(黒パン)」に言及しないことも、この世界を象徴するライ麦畑に対する全般的な嫌悪を示していると言えるだろう。
そして第三に、終盤25章で頂点をなす妹への思慕は、吐き気の出る「ファック(fuck)」に満ちたこの世に対する浄化作用ともいうべき対抗基軸をなしている。それは、「たとえ、百万年かけても、世界中にある『ファック・ユー』の落書きの半分も消せないよ」(原書,25章,p.217)とあるように、この世の性欲関係と対極をなすのが、性的関係の起こり得ない妹への思慕だからである(少なくとも本書の前提において)。死んだ弟に対する思慕も同種のものである。また、この世の「ファック(fuck)」に対する吐き気の代わりに、ホールデンがしばしば「ネッキング(necking)」に言及することも(原書,13章,pp.100f.)、この世の性欲を完遂できないもどかしさを表している。
最後に、主人公ホールデン・コールフィールド(Holden Caulfield)の名前について一言述べておこう。ホールデン(Holden)とは、「捕らえられている人」(古英語)を意味し、コールフィールド(Caulfield)とは、「辺り(field)」が「胎児の羊膜(caul)」で覆われている人を示唆している(ちなみに、かつてこの「羊膜」は幸福をもたらすものと考えられていた。「caul」, 松田徳一郎[編]『リーダーズ英和辞典 第二版』, p.404)。つまり、ホールデンは、権力に「捕らえられた」人や会社を弁護して金を巻き上げる父親のような弁護士とは正反対に、自らは半分大人でありつつも、童心に「捕らえられ(Holden)」、覆われつつ、子どもを助けることで今を生きたいのである。
否定されているのは伝統的な父親像だけではない。当時・当地のキリスト教世界観も峻拒されている。天地万物の創造という開始と、この世の終末という終結のある<直線的>な伝統的キリスト教世界観は、妹フィービーの乗っている回転木馬が回り続けるという<円環的>運動に対するホールデンの賞賛によって(原書,25章,p.229)、確かに否定され続けている。ホールデンの愛してやまない妹「フィービー(Phoebe)」のその名前が、キリスト教にとっての異教の神である月の女神ポイベーに由来することもこのことを裏打ちしている。そして、「フィービー」がギリシャ語の「フォイボス(明るい)」に由来しているように、フィービーは夜の月明かりとして、ホールデンの漆黒の心に小さく強く輝いていたのである。夭逝したアリーと共に。
本書の特徴的な表現
1章 ‘Anyway, it was December and all, and it was cold as a witch’s teat, especially on top of that stupid hill.’ (原書, p.4) = 「とにかく、12月やら何やらで、魔女の乳首くらい冷えてたよ。特にあのひどい丘の上は」(私訳)。
1章 ‘when I leave a place I like to know I’m leaving it. If you don’t, you feel even worse.’ (原書, p,4) =「ある所を去る時は、そこを去っているということを覚えておきたいんだ。そうでないと、もっとつらくなるだろ」(私訳)。
12章 ‘Horwitz said and drove off like a bat out of hell.’ (原書, p.90) = 「ホーウィッツはそう言って、地獄から出てきたコウモリのように飛び出して行った」(私訳)。
13章 ‘a woman’s body is like a violin and all, and … it takes a terrific musician to play it right.’ (原書, p.101) = 「女の体はバイオリンのようなもので、それを正しく弾くには素晴らしい音楽家が必要なんだ」(私訳)。
14章 ‘I’d bet a thousand bucks that Jesus never sent old Judas to Hell.’ (原書, p.108) = 「ぼくは、イエスがあのユダを地獄には決して送らなかったというほうに1000ドル賭けるよ」(私訳)。
16章 ‘Certain things they should stay the way they are.’ (原書, p.132) = 「ある種のもの、それらって、そのままであるべきなんだ」(私訳)。この Certain things they は文法的には破格ですが、少年の書く英語として記されているのでしょう。同様にして、while I was laying there smoking (原書, p,109)という表現も、本来は while I was lying there smoking とすべきですね。
23章 ‘You can’t teach somebody how to really dance.’ (原書, p.189) = 「本当の 踊り方って、誰かに教えられるもんじゃないんだ」(私訳)。
25章 ‘Then what she did ― it damn near killed me ― she reached in my coat pocket and took out my red hunting hat and put it on my head.’ (原書, p.228) = 「で、妹が何をしたかっていうと ― いちっころにやられるところだったよ ― 僕のコートのポケットに手を入れると、赤いハンティング帽を取り出して、僕の頭にかぶせたんだ」(私訳)。[注:ここは雨が降り出した時の妹の反応]
各ページは下記からもどうぞ
「HOME」 https://miyahiranozomuhome.wixsite.com/mysite/
「自己紹介」https://miyahiranozomuhome.wixsite.com/mysite/blank
「ゼミ紹介」https://miyahiranozomuhome.wixsite.com/mysite/blank-1
「講義紹介」https://miyahiranozomuhome.wixsite.com/mysite/blank-2
「研究紹介」https://miyahiranozomuhome.wixsite.com/mysite/blank-3 (現在のページ)
「最新情報」https://miyahiranozomuhome.wixsite.com/mysite/blank-4